令和元年12月22日は冬至です。令和二年では12月21日です。
雪の下で麦が芽を出す時季とあります。麦は越冬する植物で、冬になる前に種をまき、寒くなってから芽が出ることを表しています。現代農業としてはこの暦では芽が出るのが遅すぎます。実際はもっと早く種をまき、十一月中には麦の芽は出ているようです。
冬至は太陽の力が最も弱まり、ここから回復に転じることから、古代、一年の起点と考えられていました。
ローマやゲルマンでは冬至に祭りを行いました。イエスの誕生日が教会により後付けで12月25日に決められると、冬至の祭りはクリスマスに取り込まれました。
冬至は地球の南回帰線の直上に太陽がきている状態です。太陽の力が回復するように見えるのは、北半球で文明を築いた人々にとって、ということですね。
冬至のころ日本では気温がいよいよ下がり、「冬はじめ」と考えられます。湯治を勧めるのは冬至の洒落だという説もあるようですが本当でしょうか。そうでないにしても、体温を奪われ過ぎないようにすることや、食べ物に気を使うことなどの古い教訓は今でも有効だと思われます。
風雲の少しく遊ぶ冬至かな (石田波郷)
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