現代に残った迷信 六曜

銀河 雑記(二十四節気など)

 六曜を知っていますか。聞けば、ああと思うはずです。暦の日付に書いてあって、先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっこう)の順で繰り返す暦注です。
 これを気にする度合いは人それぞれでしょうが、残念ながら六曜は現代に残る迷信の一つといえます。業界によっては影響をうけますから、たかが占いとも言っていられません。
 六曜は時刻の占いで、主にはその日の午前や午後、正午に吉かどうかを表しています。以下にその内容を示します。

先勝 午前が吉
友引 朝か夕が吉(正午凶)
先負 午後が吉
仏滅 勝負なし(しばしば全日凶とされる)
大安 全日吉
赤口 午の刻(正午をはさんだ二時間)のみ吉

 江戸時代以前、暦にその日の運勢・占いの類いが書いてあるのはあたりまえでした。もっとも一般的な運勢・占いの一つが十干十二支(干支)で、きのえ(甲)、きのと(乙)、ひのえ(丙)、ひのと(丁)からはじまって、みずのえ(壬)、みずのと(癸)までの十干と、ね・うし・とら・う・たつ・みでお馴染みの十二支を組み合わせて、六十で一回りします。還暦という言い方・考え方にこれが残っており、六十年でもとの暦に戻ったことをさしています。なお、十二支は事物の生成消滅を表しており、動物はあとからおぼえやすくするためにあてたものです。ここは十二支のコーナーではないので深入りはしません。十干十二支はただの占いの域ではなく、日本人の生活に密接に関わっていました。時刻は子(ね)の刻、丑(うし)の刻など十二支で表しましたし、酉の市など行事の日程にも使われました。
 日本には道教系や陰陽道系などさまざまな占いの源流があり、民間信仰のレベルではいろいろなものが混在・混淆していました。そうしたなかで、六曜は人気のない占いでした。しかし人気がなかったからこそ生き残ってしまったともいえるのです。
 明治維新が成り、旧来の迷信・俗信から離れて、より開明的な思想に重きをおいて西洋化を進めるなかで、新政府は暦に運勢・占いを書き込んで売ることを禁止しました。十干十二支のような、日本人の生活に浸透していて、ただの占いではすまないものは、まず確実に禁止する必要があります。しかし六曜は他の占いに比べ影響が少なかったことから暦に記載され続け、かえって残ってしまいました。
 六曜は、旧暦では日が固定されていてちょっとつまらないですし、なんだか凶日が多くて行動を制限されているようです。新暦では日が固定されず巡っていくので、かえって占いっぽくなりました。新政府の方針を考えるとちょっと皮肉です。内容は俗化したもので、例えば友引は、漢字の連想から死人がでると友を引くとして、葬式をさけよ、もし葬式を執り行うならば棺桶に六個の土人形を入れよといいます。こういったものはひどい迷信です。午前の勝ち、午後の勝ちという言い方をしていることから、友引は引き分けを表していると考えられます。漢字はあとからあてられたようです。上記した友引の占いの内容を見てください。午前にも午後にも軍配あがらずと思わせるものではないでしょうか。
 仏滅はもともと物滅と書き、仏教とはなんの関係もないにも関わらず、仏がひとつ滅する恐ろしい日で大凶、とかむちゃくちゃなことを言う人がでます。
 まったくの迷信なのですが、カレンダー・暦に書いてあるのがいけないのか、どうしても気にする人がいます。六曜を延命させているのは、明らかにカレンダー・暦です。いっそカレンダーに書くのはやめたらどうかとも思うのですが……。
 昔は、さんりんぼう(三輪宝・三輪方・三隣亡)なんていうのもカレンダーに書いてありました。これも漢字の連想から隣三軒亡ぼすと俗化し、新築・着工をさける日とされていました。今ではすたれてしまったようですが、すたれたから書かなくなったというより、やはりカレンダーに書かなければ誰も気にしなくなって自然にすたれる、というのが実際ではないでしょうか。
 「知らぬが仏」という言葉があります。これは現代では、大事なことを知らないから平然としていられるのだと、他人に対してよくない意味で使うことが多いですが、もともとは、知れば気に病む事を知らないことで平静な心が保てるという意味です。知れば気になってしまうとわかっていて、しかもそれが迷信だったら……知ってどうするのでしょう。知らぬが仏です。

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