卯年 うさぎが象徴するもの

うさぎ 雑記(二十四節気など)

 2023年(令和五年)は十二支で卯年です。前に書いたことがあるように、十二支の動物はあとからあてられたものですが、どうしてその年がその動物なのか(子年になぜ鼠(ねずみ)をあてたか、卯年になぜ兎(うさぎ)をあてたかといったこと)はよくわかっていません。ここでは動物としての兎と、兎が文化の中でどのような象徴となったかを書きます。
 うさぎは大きく二種類にわけられます。野うさぎ(hare ヘア)と穴うさぎ(rabbit ラビット)です。野うさぎは世界中に分布しているうさぎの野生種で、穴うさぎはイベリア半島と対岸のアフリカの一部にしかいなかった地域種です。野うさぎと穴うさぎは染色体の数が違うため交配しません。穴うさぎは人間によって殖やされ、飼いうさぎとして世界中に広まっています。日本にも入ってきているので、現代人が想像するうさぎは、おそらく多くは飼いうさぎ、つまり穴うさぎの系統です。西洋で穴うさぎは、繁殖のしやすさから多産の象徴で、現代になるとバニーガールに顕著なように性的誘惑をまで意味します。野うさぎは穴うさぎより耳が大きく、警戒心がたいへん強い動物です。

 古代日本には日本固有の野うさぎしかいません。そこで疑問なのが、有名な「因幡の白兎」の話。これは昔「因幡の素兎(しろうさぎ)」と書いていました。この素兎は白い兎を指していたのかという疑問です。毛を剥がれて地肌がむき出しになった様子を「素」と言っているのではないか、それが音が同じだった「白」に置き換わったのではないかという説があるのです。うさぎは毛が白くて目が赤いのだから問題ないでしょうと思う方もいると思いますが、よく見る白い毛赤い目のうさぎは明治時代にニュージーランド・ホワイト種等から日本に導入された飼いうさぎです。日本の野うさぎでも積雪地帯に棲むものは冬に白い毛に抜けかわります。それを観察していたとも考えられますが、古代日本の中心地だった西日本では、うさぎの毛は茶色・茶褐色・黄褐色が普通でした。そうすると、因幡の素兎は白い毛のうさぎだったのかという疑問が残るわけです。
 月にうさぎがいるという伝説があります。月にある模様(月の海と呼ばれている部分)を見ての連想ですが、この模様は月の表面の黒い部分です。白い部分ではありません。うさぎは黒い(少なくとも白くはない)という印象も古代にはあったのです。

 七世紀、インド(天竺)に経典を求めて旅した玄奘三蔵は、聖地ヴァラナシでうさぎにまつわる話を聞き、『大唐西域記』のなかに「兎王本生譚(とおうほんじょうたん)」を書き留めました。きつね、さる、うさぎが、あるバラモンに食べ物を施そうとします。このバラモンは実は姿を変えた帝釈天です。ほかの動物たちと違い、食べ物をうまく見つけることができなかったうさぎは、自ら炎の中に飛び込んでわが身を与えます。帝釈天は感服してうさぎを月にあげることにしたというものです。この場合、うさぎは仏陀の菩提心(悟りを開くことで衆生を救うこと)を表します。同じ話は日本の『今昔物語集』にもとられています。
 人間に身近な動物の一つだったうさぎは、昔話に出てくるお調子者から、釈迦(ゴータマ)の前世だとされるものまで、実に様々な役を与えられているのです。

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